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豊臣一族の命運に大きく影響した寺
方広寺
京都府京都市
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方広寺は、1586年に豊臣秀吉が奈良の東大寺を手本にして建てた寺でした。
当時、大仏殿には東大寺に引けを取らない大仏が安置されていたと伝えられています。高さ19mにもなる大きな仏像は残念ながら10年後に起こる「慶長の大地震」で倒壊してしまいます。
秀吉の死後、徳川家康が豊臣秀頼と秀吉の夫人である淀君に再建を勧め、金銅の大仏が完成しました。現在、重要文化財となっている「国家安泰の鐘」という大鐘もそのときに造られたものです。
しかし、その鐘に刻まれていた「国家安康・君臣豊楽」の文字が、その後の豊臣一族の命運を一変させます。
大鐘の文字を見つけた徳川家康は、自身への中傷であるという口実を設け、大坂冬の陣と夏の陣を起こします。
天下取りを目指した家康がその事件をきっかけに豊臣氏が滅亡したのは有名な話です。その後、方広寺の大仏も破壊や焼失に遭い、現在は鐘のみが境内に残されています。
■ 基本情報
名称:方広寺
住所:京都府京都市東山区大和大路通
正面東入ル茶屋町
最寄駅:JR京都駅(バス5分)
営業時間:9:00〜16:00
料金:(下記の通り)
定休日:なし(不定休あり)
駐車場:周辺の駐車場を利用
■ 拝観料
境内散策は無料
本堂拝観:大人200円/子供100円
※詳しい情報はホームページでご確認ください。