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原城と島原天草一揆(上)

原城跡

長崎県南島原市
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原城の歴史は1496年、肥前東部に勢力を延ばし、26万石もの領土を納めた大名「有馬貴純」による支配から始まりました。

有馬一族はそののち、孫の晴純、さらにその孫にあたる晴信の時代に至るまで全盛期を迎え、島原半島一帯を支配下に治めます。

家督を継いだ晴信は当初、キリシタンを嫌悪していましたが、1580年に洗礼を受けると以降、熱心なキリシタンとなりました。1582年にはキリシタン大名として知られる大友宗麟や叔父の大村純忠と共に「天正遣欧少年使節」も派遣しています。

異文化が数多く取り込まれていた時代。この原城は「日野江城」の支城として、1598年から1604年にかけて有馬晴信が築きました。城の周囲は約4キロ。三方を有明海に囲まれた天然の要塞で、本丸、二ノ丸、三ノ丸、天草丸の4つの櫓から成り立っていました。

夕方には、沈みゆく夕日が有明海と居城をあざやかに彩り、美しい佇まいを見せていたことから、別名「日暮城」とも呼ばれていたそうです。

城は全体として土造りの曲輪が並び立つ構造をしていますが、本丸のみは総石垣造りで作り上げられ、現代でも見られる城郭の姿も見せていました。その本丸には、櫓台や複数の門を伴う巨大な出入口が設けられ、基礎石に支えられた瓦葺き建物も立っていました。

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